2006年3月14日火曜日

『陰陽師』映画/コミックス

友人から『陰陽師』の映画のDVDとコミックス1〜8巻を借りた。まずはコミックスを読んでから、映画鑑賞。映画のほうは特殊効果がチープな感じが微妙ですが(笑)、まぁまぁ面白かったかな。平安の京の怪異について興味があればなお良し。痛快アクションを求めてみるとダメかも。コミックスのほうは、絵が取っつきにくくて最初の数巻は「入り込めない〜」と思いながら読んでいたんですが、だんだん登場人物(特にメインの2人)のキャラクタと関係が面白くなってきたところ(とはいえ、やっぱり絵はあんまり好きじゃない)。

友人は、私が『蟲師』を面白いと思って見ている…というところから連想して、「これも面白いよ」と貸してくれたんだと思うんですが、私としては蟲師つながりというより『遙かなる時空の中で』(ゲーム)つながりで興味のある世界だったんですよね。京という町の政治的思惑やら嫉妬やらが、呪詛という形でやりとりされる時代。京を守る四神や、龍脈に流れる五行の力。陰と陽。ゲームの世界では見ることが出来なかった「京の町」の風景、当時の人たちの生活(というほど生活が描かれているわけじゃないけど)、衣装など、興味深い画像がいっぱい。どれぐらい忠実に再現されているのかはわからないけれど、町のなかの通りの大きさや、牛車のだいたいのスケール……そんな些細なことに妙に感心しながら見てました。

映画のほうは、そういう「絵(画像)」としては非常に面白かったし、ストーリーもわかりやすくて面白かったんですが、微妙に違和感を感じるところも……。違和感を感じたのは、まずは特殊効果のチープさ。あり得ない現象を表現するのは難しいんだろうってことはわかるけど、シロウトの私が何度も「安っぽ〜」とココロの中で思ってしまうのはいかがなものか?なんて思ったり。特に、何度も出てくるカラスのような生き物の安っぽさ(<指摘が小さすぎる?笑)。結構重要な役どころだと思うんだけど、カラスが出てくるたびに「もちっと鳥らしく動けっ!」とツッコんでしまいましたよ。これって些細なことだけど、その瞬間、映画の世界にいたはずの自分が、自宅のソファーの上に放り出されるわけで……。

コミックスを読んでから見たからなのか、出演者にも微妙な違和感が。役者の好き嫌いの問題なのかもしれないんだけど…。

源博雅の伊藤英明は、最初はちょっと違和感あったものの、あの、フヌケたシーンの雰囲気を作るにはもってこいだったかも(<いちおう褒め言葉(笑))。ただ、コミックスで読んだフヌケさとはちょっと雰囲気が違ったんだよね。コミックスでの博雅は恋などしそうにないですが、やっぱり映画となると恋をしたりするわけで、それがなんだか不思議な感じ。それが違和感。じゃぁ、誰が演じればよかったのか…なんて言われてもわからないわけですが。

それから、蜜虫が可愛くなかったなぁ(あぁ、ファンの方がいたらごめん)。蜜虫は、もう少しまあるくてやさしくて包み込むような存在ではなかろうか?何となく、彼女だと、単なる飾り物。むしろ私の目には邪魔な感じ。いなくても良かった…な感じとでも言いましょうか…。

安倍晴明の野村萬斎はハマってたかな。不可思議で、冷たそうで、何でも見透かしていそうな雰囲気。普段、あまりテレビや映画に出ない役者を使ったことも功を奏しているのかも。


…と書いてみて、ふと思ったのは、これが実写じゃなくてアニメだったら私はすんなり入り込めるのかもしれないなぁ…とか。人間の役者が演じると、どうしてもその役者の背景や、役者に対する私の好き嫌いが出てしまって、それを感じたときに、映画の世界から自宅のソファーに追い出されてしまう感じがするんですよね。そういう背景を感じさせないという意味で「絵」のほうが世界に入りやすい。…って、単に私がアニメ好きだから?(笑)。
…いや、だからこそのアニメ好きなのかもしれないな、と思うわけで(言い訳)。


コミックスのほうは、少しずつ安倍晴明の内面の描写が多くなってきて、ちょっと不安に思っているところ。飄々と怪異を解決しているからこそ面白い…ような気がしているんだけど、本人のドロドロしたところに入り込まれちゃったらついてゆけないかもしれないな…。


…と、人の参考にはならないような感想日記でありました。まる。