2006年8月8日火曜日

名探偵コナン実写ドラマ化/デスノート12巻

アニメ/マンガのお話2題。

■名探偵コナン 実写ドラマ化

名探偵コナンの 実写によるドラマ化が決定しているらしい。
http://www.ytv.co.jp/conan_drama/index.html

正直言えば、……見たくない……やってほしくない……。
新一や蘭を演じる役者が嫌いなわけじゃない。
でも、絶対にイヤだ。

私の中に何年間もかけて作り上げられて来た「イメージ」というのがあるのだから、それを壊されたくない。アニメやマンガの人物を、どうして実写で表現できると思うのだろう?なぜに実写化したがる!? 流行だから? 工藤新一は、確かに高校生という設定だけど、高校生の年齢の人が演じられるキャラクタではないと思う。毛利蘭も、高校生の年齢の人が演じられるキャラクタではないと思う。

あ〜、もうイヤっ。
最初にこのニュースを知ったときには「ファンなら見るべきなのかな?」とも思ったけど、考えれば考えるほど気分が悪くなりそう。イヤだと思いながら見るなら、見ないほうがマシかもしれない。

…ってことで、私は見ませんから。絶対に見ませんからっ!



■デスノート12巻

7/4に発売された「DEATH NOTE 12」。発売日に購入して読んだのですが、なかなか感想を書く時間を取れなくて、こんなに遅くなってしまいました。やっと、原作の最終話を読んで…そして、もう一度原作を読みなおして…原作と劇場版について、もうちょっとだけ語ろうかと…。書いておきたくなったことは、2つ。

原作については……「こんな終わりは期待していなかった…」、
実写劇場版については……「やっぱり原作に比べると断然劣る…」。

上の名探偵コナンの話ともかぶるけど、やっぱり実写は「原作を知らない人のための作品」でしかないな…と考えるようになりましたよ。映画を見おわったときの感想では、「まぁまぁ」って評価をしたんですが、それは「原作を知らない人の眼で見たら」という基準の評価。

原作の最終回をふまえての感想。
最終回についての詳しい結末は書かないけれど、私の口調から予測できてしまうかもしれない。最終回を知りたくないという人は続きは読まないように…。

以下ネタバレ…
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デスノートの最終話を読みおわったときの最初の感想は「こんな終わりは期待していなかった…」ということ。主人公である夜神月(やがみライト)には、最後まで主人公として勝ちつづけてほしかった。最後まで主人公として芯の通った【理想】であってほしかった。

そういう感想を持った自分を振り返ってみると、私はやっぱりライトを応援する側の人間だったのだろうと思う。何が正義なのか、それは難しい問題だけれど、ライトを「悪」とは思えなかった。過去に「裏の警察」的な存在が主役になっている物語はたくさんつくられている。「ワイルドセブン」だって「必殺仕置人」だってそう。法には従っていないけれど、結果的には悪をさばく善であるという役割。私の中で、ライト=キラは、そういう存在であって欲しかった。

…結末については、善と悪についてのいろいろな複雑な意見があるのだろうから、議論し尽くせるものではないのかもしれない。私とは違う考え方の人も多いのかもしれない。でも、なんだか悔しい。【理想】だと思っていたものが打ち砕かれた感じ。


最終回の結末を読んだあとに、もう一度最初から読みなおしてみて、最初に読んだときとはずいぶん重みの変わった言葉があった。それは、夜神総一郎が心臓発作で倒れたときの病院での発言2つ。

最初に読んだ時、私が注目していたのは、ライトとリュークのやりとり。

 リューク「普通は死神に憑かれた人間は不幸になるらしい」
 ライト「じゃぁ、リュークは普通じゃないほうのパターンを見れるよ」

私は、このライトの1言を、ずっと信じて原作を読んでいたんだと思う。ライトは不幸になることはなく、この力で【理想の社会】を築いていくんだと。

でも、最終回まで読んで気がついたのは、この会話の発端となった夜神総一郎の一言のほうが重要だったんだな…ということ。

 夜神総一郎「悪いのは人を殺せる能力だ」

人を殺しているキラが悪いのではなくて、その能力こそが悪いのだと。




全編を通して、私がいちばん好きだった夜神ライトは、ヨツバキラ編の頃。キラの能力を捨て、キラであった記憶すらなくなっていたころのライト。あの時、ライトは純粋にキラを追い、推理し、人の命を大切にし、そのために必死になっていた。本来、夜神ライトという人間は、ああいう人間なんだろうと思う。キラだった夜神ライトは、その自分の性格を把握して、その後の自分の行動まで読み切った。本人も認める「本来の姿」。

けれど、「人を殺す能力」を得てしまったライトが迎えた結末は、カッコ良さが微塵もない、あの惨めな姿。彼があの能力を得なかったとしたら、この物語のような劇的な物語は生まれなかっただろうけれど、地道に少しずつ世の中を理想に近づけることができたのかもしれない。


そんな風に思うと、あの能力を得てしまったことは、彼にとって「不幸」だったのかもしれない…と。「不幸ではない結末」をリュークに見せると断言していたライトを信じてきたけれど、本当は、あの時点で、きっともう彼の結末は決まっていた。夜神総一郎は、その結末をわかっていたのだと(ライトがキラであることは信じていなかったと思うけれど…)。


ライトを応援していた私は甘かった。夜神総一郎、さすがに年の功。彼の言葉のほうが正しかった。





リュークがデスノートを人間界に落とさなければ、この物語自体が始まらなかったのだろうけれど、あの出来事さえなければライトは普通の人間でいられたのかと思うと、複雑。リュークは、デスノートを落とすべきだったのだろうか、落とさないでおくべきだったのだろうか…。




ところで、上の会話があるのは、夜神ライトとLが大学でテニスをした直後。

このテニスのシーン、すごく好きなんだよね。ラリーの応酬に重なるようにして表現されていく心理戦。一コマ一コマ、ゾクゾクしながら読んだ。

デスノートでもうひとつ好きなシーンと言えば、南空ナオミとライトとの会話。偽名を使った彼女から本名を聞き出そうとする、あの息の詰まるような静かな心理戦。何度読んでもゾクゾクする。



で、思ったのは、実写映画版には、そういうゾクゾクするような、私の好きだったシーンが1つもなかったな…ってこと。




アニメ版では、あのゾクゾク感をちゃんと描いてほしいな。






やっぱり、もう、マンガの実写化はやめようよ。
どうせ原作を表現できっこないんだからさ。

…とかいいつつ、「海猿」を面白がってみていたのは誰〜?(笑)
要するに、「原作を知らない人のための実写化」という価値しかない、ということだよね。
原作(マンガや小説)も実写化も両方好きだった…という作品、わたしにはあるかな?
あなたには?